基礎セルフ、最終発表の原稿

 

せっかくなので原文ままで公開します。

なお、ここで出会った友人たちとは、今でも交友がある人もいます。

他の人は元気かな?

あいさつ

「なぜ子どもは遊べないのか」

「遊んでいるでしょっ!」と言いたくなる人も多いと思います。あるいは、「確かに、塾や部活でぜんぜん遊んでいなかった」そう言いたくなる人もいるでしょう。あるいは、今皆さんは「遊んで」いますか?

今回は、皆さんの思っている遊びとは少し視点を変え、古今東西で考えられていた「遊び」に視点を当ててみようと思います。★

定義

まず、★そもそも「遊び」とは一体何なのでしょうか。

オランダの文化史家である、ヨハン・ホイジンガによると、「遊びとは面白さが本質であり、自由で無目的な活動である」と定義されていますが、これを踏まえて私たちなりに考えた「遊び」の定義は「機能的(目的に向かって十分な機能を備えて無駄がないさま)でない自発的(物事を自分から進んで行うさま)に生じる定型的(一定の形や決まった形などに基づいていること、したがっていること)でない繰り返し見られる行為・活動である」と考えました。

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対義語

なら、★「遊び」の対義語は何なのでしょうか? ★本来は「労働」とされてきました。資本主義社会における「労働」の反対、すなわち「余暇」の時間を遊びと考えてきました。すなわち昔は仕事ではない「勉強」も、余暇・遊びと捉えられてきました。しかし、現代の私たちから考えると★、「勉強」も「遊び」の対義語にふくまれるのではないでしょうか?また、「大人からの縛り」「環境の縛り」も対義語だと考えました。

たとえば、「大人からの縛り」は、保護者が子どもの遊びの場所や時間を制限することであったり、「環境の縛り」は、公園でボール遊びが禁止されていたり、不審者による事件発生が増え、また昔は道路で遊んでいたのが、現在交通量が増え、外で遊ぶ危険が多くなったことがあげられます。

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遊びが遊びでなくなっている原因

★子どもたち★は、様々な制限がかかり、遊べなくなっている現状がうかがえます。

今の「遊び」が私たちの考える「遊び」ではなくなっているのです。

一見遊んでいるように見えても、自由が伴わない「遊び」はたくさんあります。

幼稚園のクラス活動はあくまでも子どもたち主体だが、子どもたちが遊んでいるように見えて、実は先生が「○○しましょう。」と声かけをし、遊びを指導していて、子どもたちが自分から「やりたい」という自発的な気持ちを持って取り組んでいるわけではないのです。

★他にも、子どもたちの遊びとして「テレビゲーム」が挙げられますが、テレビゲームには作られたシナリオがあり、それに沿って子どもたちは遊んでいるといえます。

それは決して自発的とは言えません。

テレビゲームなどはじめから遊びにストーリーがあるということは、子どもたちが自分たちで遊びを作る自由がないといえます。

★また、おもちゃを使って遊ぶにしても、今は自分で作るのではなく買って遊んでいます。

たとえば、ディズニーはまず遊ぼうとすると入場料にお金がかかります。そして中に入っても、食事代やお土産代でもお金がかかるように、現在の遊びにはお金がかかるのです。昔は子どもが自分自身で遊ぶものを作ったり、それを作る道具も自分の想像で作ったりということが自由な遊びです。

それが今、資本主義の波に飲まれていることにより「遊び」を買うという、買うということはすなわち資本主義、「遊び・余暇」の間も「資本主義」に翻弄されているのです。

これで、本当に「遊び・余暇」といえるのでしょうか?

表の説明

★ではここで、子供の「遊び」がどのように変わってきているのか、5W1Hの観点から今と昔を比較してみてみましょう。お手元にある資料4~5ページの表をご覧ください。

 まず、昔の遊び仲間(Who)は年齢の異なる5~6人以上が集まって構成され、「タテ型」の仲間集団となっていました。それにともなってコミュニケーションが密であった言えます。しかし今となっては学校中心の同学年・同性集団で遊ぶようになり、2~3人の小グループ化、似たような趣味や考え方を持つ仲間とばかり遊ぶ、集団の同質化が見られます。

 遊ぶ時間(When)について目を向けてみると、昔は大人から干渉されない自由な時間があり、自然の時間サイクルに合わせて遊んでいましたが、今は親に干渉され、遊ぶ時間が制限されるだけでなく、塾や習い事で遊ぶ時間自体が減っているのです。

 また、遊ぶ場所(Where)に注目すると、昔は★神社や原っぱ、道路や★空き地など主に屋外で遊んでいたことがわかります。あらゆる空間が解放され、どこでも遊ぶことができたと言っても過言ではありません。今となっては大人が子供の行動を禁止し、環境破壊や都市化が進んだことにより行動範囲が狭くなり、子供の主な遊び場は屋内となってしまいました。

 遊びの道具(How)自然で身近にあるものを使って手作りし、独創性で溢れていた昔とは対照的に、今は機械的なもの、人工的なおもちゃをお金を出して買うようになっています。これが先ほど述べたように、「遊び」が資本主義の波に飲まれているということなのです。遊びの方法も、昔は伝承された遊びを自分たちで少しづつルールを変えていたり、体全体を使う遊びが重でしたが、今はテレビゲームなど、家の中で与えられたもので静かに遊び、といったように「遊び」のあらゆる面に「自由」の対義語「管理」が見え隠れしています。

★このように今と昔を比較すると、(Why)自発性の低下、無気力、批判的思考、行動力の低下が見られる「指示待ちの子」の増加につながると考えます。つまり、「管理主義(組織において上の立場である者が下の者を管理・規制するべきとする立場や考え方)」教育の浸透が原因なのではないでしょうか。

世界各国の様子

★世界各国にもさまざまな遊びの定義があります。★ドイツでは遊びは学校が主体となっています。これは自分たちでルールをつくり、それに従いながら生きていくという文化から来ていると考えます。

★一方イギリスではボランティアも遊びとして捉えられ、教育の一環として考えられています。

ですが、「ボランティア」である以上、自分のやりたい「ボランティア」に参加し、自分の好きなように「遊べ」るような文化です。

フランスは、★そもそも学校が週4日で、空き時間が多くあり、遊べる時間も多くあります。

このように、国の間で「遊び」はそれぞれ違った形をとっています。

結論に向けて・・・

★ここまで、「自由と遊びの関係」について述べてきましたが、では「自由」だと一体何がいいのでしょうか?★それは「自分の好きな形」で学べることにあります。自分の「好きなもの」を見つけられたり、自分で何かを発見する面白さを味わうことができます。また、友達とのかかわりから、怪我をしたときの自分の痛みだけでなく、相手の痛みを味わい、また、コミュニケーション能力の向上にもつながります。

締め

今回はデータで提示することができませんでしたが、文部科学省のデータでは、外遊び・自主的な遊びをする子供のほうが、のちのち学習面、コミュニケーション能力、体力面などでいいデータが示されています。

「自由=悪」というイメージもありますが、自由にすることによるメリットも多くあるのです!

前に述べたようにゲームのシステムは、プレイヤーにシナリオどおりに進めてもらうことを想定して作られています。ですが、ゲームのシナリオを自分自身で作っていくことこそが、本来の「遊び」なのではないでしょうか?

★最後に・・・「自由でいいのだ!これでいいのだ!」皆さんも何かに縛られず、自由を求めてみる「遊び」もいいのではないでしょうか?皆さんが大人になったとき、子供にどう「遊んで」もらうのか、頭の隅で考えてみてください。

★ありがとうございました。

 

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